ヒトにおける協力の進化
目次
協力する傾向はどこから来るのか?
私たちが協力するのは自然なことなのか、それとも社会的学習の結果なのか?
私たちは生まれながらにして非協力的な獣であり、教育や学習によって手なずけられる必要があると考えたくなる。
人間の文明」という考え方は、人間が動物から進歩したという前提のもとに成り立っている。 人間は協力し、モラルを持ち、互いに親切にすることができる。
関連項目: なぜ私には偽物の友人がいるのか?チンパンジーは協力し、ミツバチは協力し、オオカミは協力し、鳥は協力し、アリは協力する......。 自然界には、同種の生物と協力する種が無数に存在する。
このことから、人間の協力も自然淘汰に根ざしているのではないかと考えられる。 協力は完全に文化的条件付けの結果ではなく、人間が生まれながらにして持っているものなのかもしれない。
協力の進化
協力は通常、種にとって良いことである。 個体だけではできないことも、集団ならできる。 アリを注意深く観察したことがある人なら、1匹では運べないような重い穀物を、アリが分担して運ぶ様子を見たことがあるはずだ。
小さな、しかし魅力的な!他のアリが渡るのを助けるために自分から橋をかけるアリ。私たち人間においても、協力は自然淘汰によって好まれるべきものである。 協力することで、人間は生存と繁殖の可能性を高めることができる。 協力する個体は、遺伝子を受け継ぐ可能性が高くなる。
しかし、この話には裏がある。
また、ズルをしたり協力しなかったりする個体の方が、繁殖的に成功する可能性が高い。 集団が提供する恩恵をすべて受けながら何も貢献しない個体は、協力する個体よりも進化的に有利なのである。
このような個体は、より多くの資源を手に入れ、ほとんどコストをかけない。 資源の利用可能性は繁殖の成功に相関する可能性があるため、進化の過程で、集団内の詐欺師の数は増加するはずである。
もし協力者が不正行為を発見し、志を同じくする協力者のみと交流することができれば、協力と互恵的利他主義が定着し、時間をかけて進化することができる。
協力に有利な心理的メカニズム
詐欺師を見抜き、避けるための心理的メカニズムについて考えてみよう。 私たちの精神のかなりの部分は、こうした目的のために費やされているのだ。
私たちは、名前だけでなく、話し方や歩き方、声の響きなど、さまざまな個人を識別する能力を持っている。 さまざまな個人を識別することは、誰が協力的で誰が非協力的かを識別するのに役立つ。
初対面の者同士が顔を合わせるやいなや、互いについて素早く判断を下す。
"彼女は親切で、とても助けてくれる"
"彼は優しい心を持っている"
"彼女はわがままだ"
"彼は自分のものを共有するタイプではない"
同じように、私たちは過去のさまざまな人との関わりを記憶する能力を持っている。 誰かが私たちを欺いた場合、私たちはその出来事を鮮明に記憶する傾向がある。 二度とその人を信用しないことを誓ったり、謝罪を求めたりする。 私たちを助けてくれた人は、私たちの良き理解者になる。
もし、あなたに非協力的な人たちを把握できなかったら、どんな混乱が起こるか想像してみてほしい。 彼らはあなたを利用し続け、あなたに多大な損失をもたらすだろう。
興味深いことに、私たちは自分にとって良い人、悪い人だけでなく、どれだけ良い人、悪い人かも記録している。 ここで相互利他主義が働く。
ある人が私たちにXXの好意を寄せてくれたら、私たちはXXの好意を返さなければならないと感じる。
例えば、ある人が私たちに大きな好意を寄せてくれた場合、私たちはその人に大きなお返しをしなければならないと感じ(よくある表現「どうお返ししたらいいでしょうか」)、ある人が私たちにそれほど大きくない好意を寄せてくれた場合、私たちはその人にそれほど大きくないお返しをする。
さらに、互いのニーズを理解し、自分のニーズを伝え、失望したり他人を失望させたりした場合に罪悪感や嫌悪感を感じる能力もある。 こうしたことはすべて、協調を促進するために私たちに備わっているものだ。
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協力するように進化したからといって、非協力が起きないわけではない。 適切な状況が与えられれば、協力するメリットよりも協力しないメリットの方が大きい場合、非協力は起こりうるし、実際に起こっている。
人間における協力の進化は、相互利益のために他者と協力する一般的な傾向が人間の心理にあることを示唆しているにすぎない。 一般的に、私たちは自分にとって有益な協力が起きると気分が良くなり、自分にとって有害な非協力が起きると気分が悪くなる。