世界をどう理解するか(心の二元性)
目次
二元性は人間の心の本質的な特徴であり、私たちの心は世界を理解するために二元性を利用している。
もし私たちの心が二重でなかったら、私たちを取り巻く世界を説明することはできなかったと思う。 言語も言葉も測定も何もなかっただろう。 心は二重性があるからこそあるものなのだ。
二元性とは何か
二元性とは、相反するものによって現実を理解することである。 人間の心は相反するものによって学習する-長いものと短いもの、太いものと細いもの、近いものと遠いもの、暑いものと寒いもの、強いものと弱いもの、上と下、良いものと悪いもの、美しいものと醜いもの、肯定的なものと否定的なもの、などなど。
短さを知らずして長さを知ることはできないし、薄さを知らずして厚さを知ることはできない。
主体と客体の分裂-基本的な二元性
つまり、自分が中心(主体)であり、自分を取り巻く世界は自分の観察フィールド(客体)なのだ。 この基本的な二元性、つまり主体/客体の分裂が、他のすべての二元性を生み出している。
もしこの基本的な二元性が消えてしまったら、世界を理解することができなくなる。なぜなら、理解するための『あなた』が存在しなくなり、理解するための『何もない』世界がそこに存在するからだ。
もっと簡単に言えば、自分が観察する存在であるという事実が、現実を理解することを可能にしている。
相反するものが互いを定義する
もし反対語がなかったら、すべてのものは意味を失ってしまうだろう。 例えば、あなたが「短い」という意味をまったく知らないとしよう。 私は魔法の杖を持っていて、あなたの頭上でそれを振ると、「短い」という概念を完全に失わせることができる。
関連項目: 仕事中にフローに入る3つの方法この魔法の儀式を行う前、高いビルを見たとき、「高いビルだ」と言ったかもしれない。 そう言えたのは、「背の低さ」の意味を知っていたからだ。 背の高さを比較するもの、つまり背の低さを知っていたからだ。
私が杖を振りかざした後に同じビルを見たとしても、「あれは高いビルだ」とは決して言えなかったはずだ。 おそらく「あれはビルだ」としか言えなかったはずだ。 背が低い」という観念が破壊されると、「高い」という観念も破壊される。
すべては相対的なものであり、対極にあるものがなければ、その存在を証明することはできない。
心の正体
心とは、二元性の産物であり、私たちがこの世に生を受けたとき、主体/客体の分裂に気づく。 主体/客体の分裂は、心の産物であるとも言える。
いずれにせよ、宇宙から切り離されているからこそ、私たちの心は現実を理解し、それを理解することができるのだ。
心は、岩ではないものを見るからこそ、岩を知っている。 幸福ではないもの、例えば悲しみを知っているからこそ、幸福を知っている。 ないもの」を知らずして、「あるもの」を理解することはできない。 知識は、「知らない」ことなしには存在し得ない。 真実は、真実ではないものなしには存在し得ない。
真の成熟
真の成熟は、心が二元性によって世界を理解しているという事実に気づいたときに達成される。 自分の二元性に気づいたとき、人はそれを超越し始める。 自分の心から一歩下がり、自分には自分の心を観察し、コントロールする力があることに初めて気づくのだ。
関連項目: 心理学における既視感とは何か?彼は、自分には意識のレベルがあり、意識の梯子を高く登れば登るほど、自分自身のマインドに対してより大きな力を発揮することに気づく。 彼はもはや、二元性の「時に上へ、時に下へ」の波に乗るのではなく、そこから波を観察/観察/研究できる岸辺に到着したのだ。
ネガティブなものを呪うのではなく、ポジティブなものはネガティブなものなしには存在し得ないことに気づき、悲しみがなければ幸せは意味を失うことに気づく。 無意識のうちに感情にとらわれるのではなく、感情を意識し、客観視し、理解する。